14歳からの社会学
➊<自分と他人>
- 昔は、クラスメイトから近所の大人も含めて「みんな仲良し」という時代だった
- 今は、近所の人の顔すら知らないことが普通
- 「みんな仲良し」といってもヒルズ族からニートといった格差社会が生まれている
- グローバルな視点から見ると、国と国の格差は縮まっている
- 「われわれ(みんな)」の定義は2つの条件が必要
- 1つ目は、「誰が『われわれ』か」ということについて全員が合意していること
- 2つ目は、「『われわれ』が生きていくためにこれが大切なんだ」という「コミットメント」がないといけない
- 現在は「われわれ」の線引きがとても難しくなっている
- 人が幸せに生きるには2つの条件が必要
- 1つ目は、「自由」であること
- 「自由」であるには「選択肢を知っていて、それを選べる。そして選ぶ能力をもっている」ことが重要
- 2つ目は、「尊厳(自尊心・自己価値)をもっている」こと
- 社会の文化や宗教によって自由を利用するチャンスは限られてしまう
- 1つ目は、「自由」であること
- 「多様性」が尊厳を支える
- 人間を社会的に成長させる循環、①試行錯誤する、②他者が認める、③「失敗しても大丈夫」の繰り返し
- 現代社会では②で認めてくれる他者(みんな)が誰だかわからなくなってきている
- みんなが分からないの問題から3つの人間のタイプが出てきた
- 1つ目は、「承認」を求めすぎるあまり、いい子を演じたり、反対に意見がいえなかったりするタイプ
- 2つ目は、失敗が怖くなり試行錯誤ができず、自由を失ってしまうタイプ(ひきこもりも当てはまる)
- 3つ目は、「承認」されない環境に適応して投げ出すタイプ。ひきこもりと違い、他者を必要としない(無敵な人のように凶悪犯罪を起こす人に当てはまる)
- 「人を殺してはいけない」というルールは実はない
- 兵隊や死刑執行人は矛盾してしまう
- 「人を殺してはいけない」というよりも「殺せない」ことが普通
- 「尊厳」を獲得するために他者から「承認」されて育ってきた僕たちは「自分が自分であること」の為に他者たちの存在が必要不可欠
- 知らない人が運転するタクシーに乗っていたり、知らない人が作ったご飯を食べられるのは、他者をなんとなく信頼する「共通前提」があるから
- 現在は「共通前提」を脅かす事件が起きる時代になってしまっている
- 「みんな仲良し」というのが難しくなってしまった現代では自分に必要な人間とだけ仲良くすればいいし、必要でない人間とは適当に付き合えばいい
- 「承認」が「尊厳(アイデンティティ)」をあたえてくれる。
- お金持ちになっても自分の人生に「承認」がなければ寂しく死んでいく
➋<社会>と<ルール>
- 昔は「共通前提」があったので「なあなあ」で済んだが、共通前提を脅かされてきた現在は「共通感覚」がなくなり、「共通のルール作り」をするように社会が変化した
- 昔はマナー違反をしている人に対して注意をする人も多かったが、「共通感覚」がなくなった今、「自分が思うように、みんなも思うはずだ」という支えがなくなり、注意する人が減った
- 「行為功利主義」=どんな行為を行えば人が幸せになるのかと考える
- 「規則功利主義」=どんな規則が人を幸せにするかを考える
- 偉い人が決めたルールが結果として多くの人を幸せにすることがある。それを推奨するのが「卓越主義的リベラリズム」という考え方
- みんなで決めたルールがいいルールだなんてあり得ない
- 民主的なルールで幸せになるには、みんなが「選ぶ能力」をもたなければならない
- 全員が幸せになれるルールを考えられる人を「エリート」と呼ぶ
- 大衆はエリートに専門的なことを任せて、それぞれが幸せになる道を考えることが、長い目で見て「選ぶ能力」を上げる方法
- ドイツやイギリスでは小学校高学年の時点で、エリートになるかを決め、ならない場合は専門的な訓練を始めてエリートを尊敬する
- エリートになることを諦めれば選択に迷ったり、競争に巻き込まれず、自己を卑下することはない
- エリートになれないことを引け目に感じない文化を「階級社会」といい、社会学では悪いイメージとして捉えない
- ドイツやイギリスでは小学校高学年の時点で、エリートになるかを決め、ならない場合は専門的な訓練を始めてエリートを尊敬する
- 「主意主義」=この世には理不尽や不条理が満ちているという考え
- 「主知主義」=人間の知識はすべておおえるという考え
- 社会学では、人が何かをしたときに、社会のせいだけではなく、「その人が意思したから」という意思を出発点にする
- ひさんな事件の「家庭環境が・・」といった話は前提だけであって、その人が何をするかは本人の「意思」による
- 意思はいつでも別の意思に変化することもある
➌<こころ>と<からだ>
- 「恋愛(こころ)」と「性(からだ)」をまとめて「性愛」と呼ぶ
- 社会には様々な形の性愛がある
- 「現実世界をまねしたゲームを楽しむ」というよりも「ゲームをまねした現実世界を遊ぶ」感覚になっている
- 性愛のハードルが下がり簡単にセックスするようになったが、強いきずなを築きにくい
- これまでは出会い、話をするようになって、手を握って・・と時間をかけていた分、強いきずなで結ばれていた
- 孤独死で一番多いのは中高年の男性で、リストラされお金を稼げなくなったとたんに、家族が離れてしまうのが典型的なケース
- 結婚は簡単だが、愛に包まれた関係を続けるにはスキルが必要で、経験することが必要
- 経験人数が多いほど、関係が薄いので経験値が低い
- 相手を入れ替え可能だと思う限り幸せになれない
- 相手がかけがいのない存在になるのは非日常の事件ではなく日常の「関係」の積み重ね
- 「カワイイ」「頼りがいがある」は単なる記号で入れ替え可能な存在
- 経験は「数」ではなく「深さ」
- 女子は「理解」を求めている
- 男子は「承認」を求めている
➍<理想>と<現実>
- 日本人は仕事に期待しすぎている
- 内紛などを経験していない日本は勝った側にこき使われたり、奴隷制のような仕組みをもったこととがない
- 歴史的背景から「仕事はお金をかせぐ手段で、他は好きなように時間を過ごす」という価値観を多くの日本人が持てない
- 昔と比べて地域に根差した仕事も減ったので、地域社会で大人との関りが減った
- そのおかげで若い人が世の中にどんな仕事があるのかが見えにくくなった
- 「近代過渡期(大量生産時代)」は新しく便利なモノをどんどん取り入れる時代で、「いい人生=いい労働者」という価値観
- 「近代成熟期(多品種少量生産時代)」は「モノの豊かさから心の豊かさへ」の時代で、「いい人生=いい消費をして生きること」に変化した
- 近代成熟期では「決められたことを集団でこなせる能力は役に立たない
- 「生きがい」や「やりがい」は賃金の代替案としてエリートが作り出したものなのかもしれない
- 自分にとって何が最低限あれば幸せなのかを考えて割り切ろう
- 会社は儲ける為にあって、儲けるのに役立たせるために「生きがい」をあたえる
- アイドルファンはファンになりたいという目的があってそれ合うように公務員の仕事を選んだ
➎<本物>と<ニセモノ>
- 必要な人間は「感染」をあたえてくれる
- 「役割」ではなく「人」の力が大きくなっている
- 同じ学校の先生でも社会を経験しているかしていないかで説得力が違う
- ものを学ぶときには「人よりも良くなりたい」という「競争動機」と「この人みたいになりたい」という「感染動機」がある
- 「感染動機」の方が知識がより身につくし、人格や内面を変化させる
- ミュージシャンは徹底的にコピーして、やがて自分のスタイルを作る
- 人には裏切られることを前提として信頼するし、信頼することで相手が変わり得る
- ルールを守るよりも「中身のつまった人間」の方がプラスになることもある
➏<生>と<死>
- 「死」について考えることは「何でも自分でコントロールすることが無駄」と自覚するチャンス
- 「自分がしんだあと、どういう風に語られるのだろう」と気にすることが「生」を決める
- 誰かが死ぬことで新しく生まれる出会いがある
- 「自分の人生は悪くなかった」と思えることが重要
- 誰も自分のことを知らない大自然の中では死は怖くない
- ありとあらゆるもの全体を「世界」
- コミュニケーション可能なものの全体を「社会」
- 「社会」だけしか知らないと、死んだ後にどう承認されるかが不安で未練が残る
- 「社会」で生きたことを幸せに思いながら「世界」の中で死ぬことが幸せなんじゃないか
➐<自由>への挑戦
- 人間の感じ方は社会によって変わる
- 物事はずっと前から因果関係から決まっていたという考えを「主知主義的世界観」
- 「因果」ではなく「意思」を出発点とする考えを「主意主義的世界観」
- 人が自発的な意思で社会を作り、その社会が人の意思を作る